上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
本日のテーマは『あなたと私の時間』について。
昨晩の内容を踏まえて、ぶつかってみたいと思います。

非常に難しい問題だと思いますが、あえて・・
あなたにとって『時間』とは何でしょうか??
本日、『時と空間の哲学』というクラスを受講。
相対性理論を改めて考えた時に、ふとこの問いが浮上しました。

よく『時間』はあなたの制約条件、Time is Money等々言われますが、
そもそもなぜ『時間』が大事なのかが分からない・・・ことって多くないでしょうか??

そして、なぜ重要なのかを自分で定義したことはなかったけれども、
何故か『時間』という資源(?)を無駄にしている??と感じませんでしょうか??
Time Management、How to本は多く巷に出回っていますが、
何故か『時間』を管理する習慣が身につかない。

どのようにAを使うかと言われても、そのAに客観的な姿が存在しない時。
誰も『時間』を触ったことがないように。
したがって、How to maximize Timeの前に、当然、
What does TIME mean to YOU??
を考える必要性がある。
本日は改めて『あなたと私の時間』について考えてみたいと思います。

【前提】

まずは自分の認識(相対性理論を基礎とする考え)を共有:
①『時間』のスピード・空間感覚は人それぞれ

②『時間』は物質として触れられない。厳密に『時間』とは『この瞬間』

①は当然かもしれませんが、改めて確認までに。
②についてもここから説明していきます。

その前提を踏まえた上で、私の『時間』に関する暫定的な考えは:
『時間』=『自分』
以下前提の補足をしつつ、説明していきたいと思います:

① 5歳時にとっての1年の長さは、全人生の5分の1。つまり全人生の20%に当たる。
30歳の母親にとっての1年の長さは、全人生の30分の1。つまり全人生の3%程度。
単純計算、一般的に論じて、『1年』の感覚は5歳児にとっての方が長く感じるのではないだろうか。
故に、誰かに向かって『自分の時間感覚』の絶対的なルール、感覚を基に、
説教(親→子、来年まで~を待ちなさい等)をすることは理不尽といえる。
私達は、1人1人『自分』の時間スピード・空間感覚も持っていると思います。

②宇宙が存在してから(スタートはないのか・・)、
人類が生まれてから、『時間』は進み、流れてきました。
体験的に『時間』が戻ることは感じたことがないかと思います。
唯一『時間』が戻っているように感じる時は、
あなたが『記憶』を頭の中で辿る時だけ。
その瞬間も、今生きているあなたの『時間』は流れています。

そして、時間軸があれば、その延長線上には『1秒後』の自分がいる。
その先には、『明日』の自分、『来週』の自分、『来月』、『来年』、『10年後』、と自分がいる・・
ように感じます。
しかし、これもあなたの『想像』の中での話。その瞬間も、『時間』は過ぎて行きます。

『次の瞬間』の自分を決めるのは『この瞬間』の自分。

そう考えたとき、あることに気づきます。
もしかしたら、『時間』は『自分』の人生そのものなのではないか。

『あなた』にとっての『時間』はあなたが生まれた瞬間から存在します。
もちろん、あなたが生まれる前も、死んだ後も時間は存在するでしょう。
しかし、現在生きている、息を吸っている、考えているあなたにとって
唯一確かなもの、感じられるものは、この瞬間の『あなた』。
もしあなたが次の瞬間死んでしまったら、
『あなた』にとっての『時間』は消滅するのではないでしょうか。

もしMatrix的なストーリーがあったとして。
私達がこの『瞬間』世界に第三者によって生み落とされていたとしても、
『記憶』という過去が本当に自分が体験したものでなくても。
『今』の自分、『このブログを呼んでいる瞬間』の自分は『自分』でしょう。

過去も未来も、見方は『今のあなた』次第。
5年前の自分を考えるときと、10年前の自分を5年後に考えるのでは、
見方がおそらく変わります。

上記の議論を踏まえて、なぜ『時間』は大事にするのか??
それはやはり:
『時間』=『自分』だから。

多くの人間は皆、自分が大事だと感じるでしょう。
しかし、なぜ自分が大事なのか??といわれてもなかなか答えづらいと思います。
それと同じ言葉にはできない『理由』で。そんな儚い想いで『時間』と向き合ってみる。

時間はあなたが管理する『自分とは切り離された』資源ではない。
他人との関係の中で『自分』を守るように、『自分』を活かすように、
『今』を、大事に出来たら。

任天堂のCEO岩田氏が仰っていましたが、
きっと10年後のあなたから『ありがとう』
と言われるのではないでしょうか。

『あなた』が最も輝く場所へ行けるように。
『今』を全力で生き抜いてみませんか??





本日のブログは『リソースパラドックス』について。
和訳は:『資源が多いことによって生じる矛盾』、です。

先程まで、エジプト人のルームメイトA氏と3時間程:
『なぜ私達は生きるのか??』
というテーマについて語りました。
いや、盛り上がった。

そこで改めて学んだことを本日は紹介したいと思います。

【前提】
私達は1000年前、100年前、10年前、1年前に比べて、
はるかに多くの『選択肢』を知っている。(意識・無意識にせよ)

A氏の議論は:
『人生を生きる目的(Z)が分からない。選択肢≒リソース(X)はいくらでもあるし、その中から、自分が最も好きなもの(Y)を見つけることは不可能→なぜ生きるの??』

A氏は哲学と科学両方において知見が深く、日々学ばせてもらっているのですが、
ここではがっつりとぶつからせてもらいました。

選択肢(≒リソース)が多いこと。
それは、ある意味『後悔』する可能性が多くなったことを意味している。
数ある選択肢の中から、自分はなぜ『これ』を選ぶのか??
選択肢が少なければ考えずに済みましたが、
1つ以上リソースがあれば、必ず『不確実性』が残る。
あっちをとっていればな・・そう考えてしまうのが人間の性だと思います。

そして、そういった精神状態で、選んだXにぶつかっても
なかなかうまく行かない、諦めてしまう。
そして、『あの人が出来たのは、才能があったからだ』という
『結論から判断』する罠にはまってしまう。
そして目の前にある選択肢の多さと
残り50年程向き合っていくことに疲れを感じてしまう。

もし何をやっても、それを心の底から楽しむことが不可能であれば、生きている意味ってあるのかな??

私は改めて自分の経験が形成した世界観と向き合い、
それを彼にぶつけた。

プロセスから読み取った、本気で人生を生きてしまう人に見られる道筋
それはおそらく。

① X自体が堪らなく好きな者が結果としてZを実現し、Yと呼ばれること。

② Zとある日出会い、それを実現する手段として改めてXに向き合い、Zを現実化するためにひたむきにチャンレンジできたものが結果として、Zを実現し、Yと呼ばれること。

別にXのY(=プロ、偉人)になることが目的ではない。

もしYになりたいのなら、X選びに確かに迷って人生は終わってしまう。
そして、それは難しく、苦しい道。

しかし、もし無条件で実現したいX, 又はZを見つけたとき。
『リソースパラドックス』はきっと超越される。

なぜなら。
自分が言葉では説明が出来ない程、腑に落ちる『選択』を
見つけたとき、Everything else is Secondary (Steven Jobs)になるから。

自分がいつ、どのような形で人生の炎を燃やせるX, Zに出会えるかは誰もわからない。
How to マニュアルも、決まった答えも存在しない。

しかし、人生をアツく生きた先駆者から学べる根源的な学びは:

出会いが人を変える

こと。出会いが人を気づかせ、進化・深化させてくれること。
山に1人で何十年とこもっていても、なかなかXもZも見つからない。

本でも人でも何でもいい。
自分の周りは『出会いのチャンス』で満ち溢れているではないか。

部屋を飛び出し、世界を駆け巡り、
世界にぶつかっていくことで、きっと誰にでも『生きる理由』が見つかるはず。

不可能は存在しない

気づけばそうアツく語っていて、
『初心』を再認識できた夜になりました。







現在、10月12日。

本日で、日本とアジアを驚きで繋げるファンドレイジングパーティー
Dreams for Asia開催から丁度1カ月が経過しました。

というわけで、今回のブログでは、この1カ月間の歩み、
そしてそこから感じた事柄について述べたいと思います。

本日は結論からではなく、過程から入って行きます。
始めに、無理やり『問い』を設定するとしたら、それは:
あなたは、『生きている』感覚を日々感じますか??
そしてあなたにとって『生きている』とはどういう意味でしょうか??
あたりかなと思います。

過去の自分、そして現在の自分を比較した際に
出会った答えを論じていきたいと思います。

【内省:9月12日までのDoubles】

キーワードは『リアル』。
2009年4月にカンボジアへ行ってからは、直観で5カ月ノンストップで走ってきました。

問題解決という言葉を使えば、『問題』を特定することよりも、
『解決』方法を自然と感じ取り、その実現にある意味・・
『この質問をしたら、動きが止まってしまう』という問いを無意識に発さず、
奮闘してきました。

自分の初心を信じ、想いをとにかく会った人『全員』にぶつけてきた。

自己の世界観を裸にしたから、ぶつかったから、
『挫折、失望感』を何度も感じ、悔しい想いを幾度となくしました。
修羅場での自分の弱さ、小ささにも直面した。
しかし、がむしゃらにぶつかったことで得たものは『はるか』に大きかった。

0からのスタート。
同じ想いをもったアツい仲間と『共通の絵』を追いかけた時間・空間。
感覚がその『場』の匂いを覚えている。
見えない未来を感じ取り、それを仲間と主体的に創る『快感』はまるで麻薬のよう。

痛みから、喜び、涙まで。
全てが『何の理由』もなく『リアル』に感じ取れた。

明日死んでも後悔ない。
心から生きている感じがしていました。

そして渡米。

【内省:DFAから1カ月後、10月12日のDoubles】

この1カ月のキーワード。それは『突き抜ける』。
アメリカに来てからは、より冷静に多角的に目的を見てきたと自負しています。
DFAの延長線上で、こちらでもよりぶっとんでいることを実現するための
ネットワーキング、事業計画を練ってきました。

問題解決という言葉を使えば、現在は『解決』策を感じつつも、
より慎重に『問題』について考えている。

なぜ『途上国』という概念をなくしたいのか??
なぜ『教育』なのか?? 『教育』とはそもそも何なのか??

以前自分の肌で感じた問題と、実際のデータ・先駆者の声を比較する。
そして5年後、10年後の未来を想像しながら、自己世界を深める日々。

妥協せずに、貪欲に『出会い』を求めている、つもりでしたが・・・

なぜか『痛み』を感じていないことに気づく。

日々『驚き』があり、自分の世界観は深まっているのを感じるのに、
妥協をしていないつもりなのに、常に『物足りなさ』が心に残る。

それはなぜか??
それは・・・
自己の世界を深めていることが、
厳密には『守りの驚き』だったから

そう感じます。

生きている『リアル』な感覚がするのは、
『攻めた』結果として出会う『驚き』の過程で生じる・・・
言葉には出来ない『痛み』があったからだなと、改めて気づく。

痛みという感覚を生むのは挫折、後悔・・
それはさらに細かくみれば、自分の小ささ、期待とのGAP等々と出会うことだと思います。

もしそういった感覚を感じていないのであれば、
自分はまだ必死ではない、そう1カ月前の自分を思い出して痛感しました。

おそらく重要なことは。
自分の内面世界を豊かにしつつも、
自分の外界にそれを思い切りぶつけ続けること。


アイデアを世にぶつける最適なタイミングは誰にもわからない。
どこまで学んでも、学びきることはない。

ならば、未熟なことは覚悟で常にぶつかりたい。

10月12日。
そう強く感じました。

誰も純粋に痛みが欲しいわけではありません。
しかし、もしずっと安全だったら、自己の世界観に満足をしていたら、
驚きを感じなかったら、どうでしょうか??

答えは『自分』が決めることですが。
私は生きている気がしない、そう感じます。

本当に生きている!!! 人生って気持ち良いな!!
そう思えるのは、『痛み』の後に『嬉しさ』が来るから。
風邪を引いた後に、体調が復活するから・・・
自分の当たり前が崩れた時に、手には掴めない人生を感じるから。

Live our Life to the LIMIT.

あなたが
生きていること
参考までに。







本日のテーマとなる『問い』。

それは:
『あなたはどうやって5年、10年、30年後の
未来(≒変化)を予期するのか??』

です。

なぜ自分が本日このテーマを選んだかというと、
現在アルビン・トフラー著『未来の衝撃』を読んでいるからです。
内容が濃いだけに、英語版で上手く理解できるか不安だったが、
友人のT氏お勧め通り、本当に面白い。
止まらないです。

まだ読んでいる最中ですが、トフラーが本著を通して伝えようとしているメッセージはおそらく:

『あなたは未来の衝撃に準備が出来ていますか??』

という『人類への問い』だと思います。

これはどういう意味なのか。
自分の中で、ある程度思考をまとめたので、今回のブログではそれを共有したいと思います。

Doubles的な結論から言いますと。
【結論】
『未来は、「今、現在」まであなたが蓄積してきた「出会いの源」が豊富・色鮮やかであればある程、より鮮明に見えてくる』

のではないか、そう考えています。

説明に入りますが、その前に前提共有。
************************************************************************
【前提】

・私達は当然未来(それが1分後、1日後、1カ月後、1年後、10年後だとしても)と
直接出会うことは出来ません。(この前提が崩れれば、嬉しい反面刺激がなくなります)

・未来とは、『今』から出現する『時』の一瞬、一瞬が積み重なって創られる。つまり明日の影響なしで、明後日は存在しない。当然かもしれませんが確認までに。

・人は唯一正しい、『世界』を見ることはできない。どこまで知ったと思っても、まだ『知らない世界』がその延長線上に存在する。今見える世界は、それ以前(=過去)の経験から派生している。

************************************************************************
その状態で、今後の自分、自分を取り巻く環境、そして全てを包括する『世界』の姿を
想像し、その変化を自ら創り、楽しむことに、個人的に大変関心を抱いています。
なぜならその過程で、脳が心が踊るからです。

それでは、冒頭の『問い』に戻ります。
スパン(時の長さ)に関係なく、普遍的に未来≒変化を肌で感じ、
その実現が起きる前に変化に対応するにはどうすれば良いのか??

冒頭の結論に対応する形で、例を交えて説明します。

例えばです。
誰かが自分が想像もしなかった(≒未来的)、
自分の常識では尋常ではないアイデアを出したいとします。
現代では世界中で起きていることだと思いますが。

あなたの目には、それは『偶然のような驚き』として映るかもしれません。
しかし、その本人にとっては、そのアイデアはおそらく0からの創出ではない。

必ず、そのアイデアが飛び出てくるWonder Box、『源』があったと私は考えています。

トフラーが指摘していますが、変化を測る尺度は『時間軸を前提とした相対性』です。

過去と相対的に見て、どんなに奇抜なアイデアも、
それが生まれる『理由』がそれ『以前』にあったのです。
厳密には因果関係が必ずある。

そしてその『理由』は『あなた』の『出会い蓄積源』にあるのだと私は思います。
人がこの瞬間までに出会ってきた、触れてきた対象の量・質・重さ・鮮度等々。
*『源』にも意識・無意識(このカテゴリーが最近腑に落ちませんが)の差はありますが、
とりあえず出会いがなければ始まらない。

この結論にさらに踏み込んでみます。
『何でこれをもっと昔に知っていなかったのだろう?』 という経験は誰しもあると思います。
過去を振り返ってみて下さい。
残念ながら、人生よくあることですね。

とはいえ。
もし『知っていれば・・・』という短絡的な反応では、
また同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか。

なぜならば、自分が当時その出会いに気付けなかった根本的な理由は、

『何かと出会うための準備』

が欠けていたから。そう私は考えています。

当時、特定の出会いに気付けなかった理由は、それを知る、感じ取る
『準備』が出来ていなかったから。

その仮説を基にすれば:

あなたの『源』に蓄積される『出会い』(想像力の源泉)さえも、
それ以前(=過去)の『出会い』によって多くの割合で規定される。

とも言えると思います。

そこで、暫定的な結論に戻ります。

もし誰もがまだ見たことのない明日を自らの手で描きたいのならば。

触れられない未来をを描く具材(=出会い)を、
あなたの『世界』に取りいれること

が必要だと、私は『今』感じています。

そして。
その未来を創る『源』を豊かにするためには。
子供の頃、社会に触れる前に自然と湧き上がった『好奇心』を大切にすること。

日常に転がる、『当たり前』に意味を嗅ぎ取る、
感性豊かな姿勢を大事にすることが大事だとトフラーから再認識します。
本日のテーマは『言葉』と『前提共有』の重要性について。

このテーマについては太古から語られていると思いますが、
最近個人的に『警戒心』が高い内容なので、
(現在@ビジネススクール・・最近英語で議論を行う『非日常的』な空間にいて痛感する故に)、
改めて内省を自分の視点から綴りたいと思います。

今回のブログを通して考えたい『問い』は:

私達は皆、言葉という『資源』を無駄にしているのではないか??


という『問い』です。

議論の始めに。
私自身出来る限り純粋なメッセージを伝えるために、
私がこの文章を書いている際に意識している前提を5点述べます。
************************************************************************
①生まれてから死ぬまで、人は基本的に1人では存在しない。

②『言葉』とは私達が5感を用いて感じ取った対象物に貼る『名前』である

③誰かと共に生きている以上、彼らが経験してきたもの、考えていること等を最大限理解したい。

④人間は24時間、365日という制約条件の中で生きている。


①~④を踏まえた上で、正しい答えがないことは承知で述べます:

⑤人間間での情報・意思伝達が正確に実現したとき、以下の3点が明確化・共有化される:

1) 相手が伝えたい一番大事な情報(結論)
2) その結論に至った過程(道筋)
3) 全体を通して、相手が利用した『言葉』から発せられたイメージ
*****************************************************************************

では以上の前提①~⑤を共有した上で、語りたいと思います。

【言葉と私とあなた】

私達は『目的』は何であれ、自分以外の(自分とは異なる経験・感情等をもつ)
人間と共に影響し合いながら生きていると思います。

そして自分以外の誰かと影響し合う際に、
私達が自ら作り出した道具である『言葉』をフル活用している。
この瞬間にもこの道具のお世話になっているわけです。

言葉、そしてその媒体である文字が存在するからこそ、
私達は自分が知らない『何か』を間接的に知ることが出来る。

言葉があるから『見えない何か』も、
自分以外の誰かと共有することが出来る。

非常に便利な『言葉』。

でありますが・・・
その利便性と同時に、この道具を安易に用いた場合、
非常にもったいない結果を招くと私は考えています。

★換言しますと:

使用している『言葉』が表している対象物についての『前提共有』が欠如した状態で、
誰かと情報伝達、意思疎通を試みた時、必然的に私とあなたの間で
『理解GAP』が生じていると思うのです。

当たり前かもしれませんが、
『言葉』は下記2タイプに分かれると考えられます:
*****************************************************************
① 物質的に触れる・感じることのできる、人間間で共有可能な対象物に貼る『名前』としての言葉

② 物質的に触れることが出来ない対象物に貼る『名前』としての言葉
*****************************************************************

先程の★は②で用いられる『言葉』に対応。

上記の補足を踏まえて、私の見解では:

自分とあなたの間で統一された理解が確立されていない
『触れられない何か』を、型にはまった『言葉』で共有することは
『もったいない』


何故そう感じるのか?

可能な限り人間同士で考えを共有するために、
私達は見えない、触れられない意識の対象物を自然と『言葉』で表現していると思います。

一般的に『抽象的(ふわふわした)』だと言われる言葉達*:

夢、希望、愛、道徳、真、天国 等々

に対して名前を付けてきたわけです。見えないイメージに対して名前をつけること。
それは確かに、本当に便利です。
(*今後、これらをIntangible wordsと述べます)

その反面。
ブログ冒頭の前提(①~⑤)を意識しつつ述べますが、
人間が創ったIntangible wordsの多くは、(触れられないにも関わらず)
その『定義=言葉から発されるイメージ』が当然のように扱われているのではないでしょうか?

その例としては、友人と日常的に『愛』について語る際に、
どんな『愛』?という議論はしますが、そもそも『愛』って??という会話は
起こりづらい。

少なくとも日本で生まれた多くの人間は学校に行っていると思います。
そういった『言葉』自体を教える学校や、言葉を使用して情報を発信するメディア等と日々
触れ合うことで、私達は様々な対象物に対して表面的には統一した理解を築いてきました。

そこで。
私は『言葉』という道具を手にしている嬉しさと同時に、
その使い方にどうしても『もったいなさ』を感じるのです。

古代ギリシアまで遡りますが、
哲学者ソクラテスは対話で使用される『物質的に触れられない対象物』の定義に非常にこだわりました。

それはやはり:
相手がこの瞬間までに感じてきた、言葉では説明できない程味の深い『何か』を、無意識に『共有しやすい言葉』で語るのもったいない。

とソクラテスが感じたからでは??と私は個人的に考えています。

時間も私達が創り出した仕組み『言葉』ですが、
1日は24時間、365日。そして人間は物質的に一時は存在し、いずれ物質として存在しなくなります。

『世界』の風景の全てを1人で触れるには、人生は短いようです。

しかし。
私は自分が可能な限り、未だ見たことのない世界(=自分という物体の外に存在する何か)
に触れたい、知りたい、感じたい。

なぜなら、それと触れた時には、
私のどこかで『驚き』が生じるからです。

その可能性を踏まえた上で。
毎日を振り返ると、私達は本当に多くの人間に出会い話します。

出会った全ての人間と実現することは困難だが、
そこでもし対話を試みるならば、私は是非とも相手の『世界』と出会いたい。

そしてその『世界』は:

私から、あなたから発せられる『言葉』の裏に隠れる、
『前提・言葉にはできない想い・考え』を最大限把握することで
掴み始めることが出来るのでは??

と最近強く感じています。

人と人が触れ合う日常は、『言葉』に出来ない躍動感で溢れています。

私は『今』、少なくとも意識上では存在していると認識できている。
人が『今』まで見てきた、触れてきた、想像を絶する程色鮮やかな世界と
出会える『嬉しさ・驚き』を感じられることの『価値』。

私はその『価値』を今後とも仕組みとして世界に提供していきたいと考えています。

言葉を、あなたの素晴らしい想いを大切に。













上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。