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本日のテーマは『言葉』と『前提共有』の重要性について。

このテーマについては太古から語られていると思いますが、
最近個人的に『警戒心』が高い内容なので、
(現在@ビジネススクール・・最近英語で議論を行う『非日常的』な空間にいて痛感する故に)、
改めて内省を自分の視点から綴りたいと思います。

今回のブログを通して考えたい『問い』は:

私達は皆、言葉という『資源』を無駄にしているのではないか??


という『問い』です。

議論の始めに。
私自身出来る限り純粋なメッセージを伝えるために、
私がこの文章を書いている際に意識している前提を5点述べます。
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①生まれてから死ぬまで、人は基本的に1人では存在しない。

②『言葉』とは私達が5感を用いて感じ取った対象物に貼る『名前』である

③誰かと共に生きている以上、彼らが経験してきたもの、考えていること等を最大限理解したい。

④人間は24時間、365日という制約条件の中で生きている。


①~④を踏まえた上で、正しい答えがないことは承知で述べます:

⑤人間間での情報・意思伝達が正確に実現したとき、以下の3点が明確化・共有化される:

1) 相手が伝えたい一番大事な情報(結論)
2) その結論に至った過程(道筋)
3) 全体を通して、相手が利用した『言葉』から発せられたイメージ
*****************************************************************************

では以上の前提①~⑤を共有した上で、語りたいと思います。

【言葉と私とあなた】

私達は『目的』は何であれ、自分以外の(自分とは異なる経験・感情等をもつ)
人間と共に影響し合いながら生きていると思います。

そして自分以外の誰かと影響し合う際に、
私達が自ら作り出した道具である『言葉』をフル活用している。
この瞬間にもこの道具のお世話になっているわけです。

言葉、そしてその媒体である文字が存在するからこそ、
私達は自分が知らない『何か』を間接的に知ることが出来る。

言葉があるから『見えない何か』も、
自分以外の誰かと共有することが出来る。

非常に便利な『言葉』。

でありますが・・・
その利便性と同時に、この道具を安易に用いた場合、
非常にもったいない結果を招くと私は考えています。

★換言しますと:

使用している『言葉』が表している対象物についての『前提共有』が欠如した状態で、
誰かと情報伝達、意思疎通を試みた時、必然的に私とあなたの間で
『理解GAP』が生じていると思うのです。

当たり前かもしれませんが、
『言葉』は下記2タイプに分かれると考えられます:
*****************************************************************
① 物質的に触れる・感じることのできる、人間間で共有可能な対象物に貼る『名前』としての言葉

② 物質的に触れることが出来ない対象物に貼る『名前』としての言葉
*****************************************************************

先程の★は②で用いられる『言葉』に対応。

上記の補足を踏まえて、私の見解では:

自分とあなたの間で統一された理解が確立されていない
『触れられない何か』を、型にはまった『言葉』で共有することは
『もったいない』


何故そう感じるのか?

可能な限り人間同士で考えを共有するために、
私達は見えない、触れられない意識の対象物を自然と『言葉』で表現していると思います。

一般的に『抽象的(ふわふわした)』だと言われる言葉達*:

夢、希望、愛、道徳、真、天国 等々

に対して名前を付けてきたわけです。見えないイメージに対して名前をつけること。
それは確かに、本当に便利です。
(*今後、これらをIntangible wordsと述べます)

その反面。
ブログ冒頭の前提(①~⑤)を意識しつつ述べますが、
人間が創ったIntangible wordsの多くは、(触れられないにも関わらず)
その『定義=言葉から発されるイメージ』が当然のように扱われているのではないでしょうか?

その例としては、友人と日常的に『愛』について語る際に、
どんな『愛』?という議論はしますが、そもそも『愛』って??という会話は
起こりづらい。

少なくとも日本で生まれた多くの人間は学校に行っていると思います。
そういった『言葉』自体を教える学校や、言葉を使用して情報を発信するメディア等と日々
触れ合うことで、私達は様々な対象物に対して表面的には統一した理解を築いてきました。

そこで。
私は『言葉』という道具を手にしている嬉しさと同時に、
その使い方にどうしても『もったいなさ』を感じるのです。

古代ギリシアまで遡りますが、
哲学者ソクラテスは対話で使用される『物質的に触れられない対象物』の定義に非常にこだわりました。

それはやはり:
相手がこの瞬間までに感じてきた、言葉では説明できない程味の深い『何か』を、無意識に『共有しやすい言葉』で語るのもったいない。

とソクラテスが感じたからでは??と私は個人的に考えています。

時間も私達が創り出した仕組み『言葉』ですが、
1日は24時間、365日。そして人間は物質的に一時は存在し、いずれ物質として存在しなくなります。

『世界』の風景の全てを1人で触れるには、人生は短いようです。

しかし。
私は自分が可能な限り、未だ見たことのない世界(=自分という物体の外に存在する何か)
に触れたい、知りたい、感じたい。

なぜなら、それと触れた時には、
私のどこかで『驚き』が生じるからです。

その可能性を踏まえた上で。
毎日を振り返ると、私達は本当に多くの人間に出会い話します。

出会った全ての人間と実現することは困難だが、
そこでもし対話を試みるならば、私は是非とも相手の『世界』と出会いたい。

そしてその『世界』は:

私から、あなたから発せられる『言葉』の裏に隠れる、
『前提・言葉にはできない想い・考え』を最大限把握することで
掴み始めることが出来るのでは??

と最近強く感じています。

人と人が触れ合う日常は、『言葉』に出来ない躍動感で溢れています。

私は『今』、少なくとも意識上では存在していると認識できている。
人が『今』まで見てきた、触れてきた、想像を絶する程色鮮やかな世界と
出会える『嬉しさ・驚き』を感じられることの『価値』。

私はその『価値』を今後とも仕組みとして世界に提供していきたいと考えています。

言葉を、あなたの素晴らしい想いを大切に。













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