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何が「真」なの?とか、何が「叡智」なの??というのは
常に哲学のテーマとして扱われている。

クリシュナムルティーは自分が今まで出会ってきた哲学者(とことんあることについて考える人々)
中でも、かなりぶっ飛んでいる。

現在ムルティー氏の「子供たちとの対話」を読んでいる。

この著書は、対話形式で進んでいく。

子供とムルティー氏との対話。

子供心たっぷりの質問が著者に飛んでくる。

「なぜ私は何にも満足をしないのでしょうか?」
「人はなぜ誇りをもつのでしょうか?」
「誰かがつまついて倒れると、どうして誰かは笑うのでしょう?」
        :
        :
といった具合に、私達が日々無意識に陥りやすいテーマを吟味していく。

そこで、ムルティー氏は一貫してあるメッセージを私たちに伝えてくれる。

「考えてごらん」

君が現在、そういった質問に上手く答えを出せないのは、その問いに違和感をそもそも
感じることができない阻害要因(所与として受け入れている考え方)があるからではないか?

もし、全てをその「もの自体」として、観察・吟味することが出来れば、きっと私達は
何からでも学ぶことができる。

そう、悩み事や迷っている事柄等の荷物を一度全て横に置けば、
世界は本当に色鮮やかに見えてくる。

全ての「出会い」が学びへと変わる。

毎日出会っている人、本、自然から
感覚的な喜びや苛立ちや悲しみまで。

「~」と出会うときに、ムルティー氏はそこで立ち止まって「考えてごらん」
と私達に注意を促す。

宗教に頼る。
~主義に頼る。
社会貢献の時代的な流れに頼る。

私達は本当に~に頼って、自らの行動・考えに安心する。
それは重要なことだし、私自身否定する気は毛頭ない。

社会的なニーズ(流れ)に逆らえば良いということでも決してない。

とはいえ。

例えば「教育」において、社会的に正しいと思われる高みを目指すことが
内部要因化しているシステム内で戦ってきた現在の若者。

なぜか、~大学にいってます。株式会社~で働いてます。
という肩書きを自己紹介で使っている私達。

そして、そこからほんの少しでも優越感・誇りを感じている私達。

もったいないよね、そう最近は本当に感じる。

自分の名前の横に、社会的にみていけてる他アイデンティティーがあること。
それは悪いことでは決してない。
だが、真の問題は、多くの人間がその「他アイデンティティー」に安住していること。
そのアイデンティティーを前面に押し出すことで、他者をある程度圧倒できる、
より「高い何か」を示そうとしていること。

もし、そのアイデンティティーが消えたらあなたはどんな自己紹介をしますか??

どう自分を表現しますか??

あなたには「何が」残っていますか??



私は、できる限り、前提に捕らわれずに、
自分の世界・宇宙の限界を見たいと現在は考えている。

何かにしがみつき安住することは大事である。
だがその時点である程度、知の探求心が消えてしまう。

そのもう1歩先に踏み出たい!!

そう思う。

大変難しいことだが、
「何かを」より多くの視点から観察したい。

一回限りの人生らしいので、
全ての出会いから謙虚に学びたい。

自分の存在を証明するために掴んで話そうとしない
もの。
それを取り除いたときに残るのは、おそらく「生き様」だと私は考える。


自らの行動・考え・世界を絶えず吟味し続けたい。

そう改めて考えさせられる今日この頃である。
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