上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
前回の内容を踏まえて、今回は「人生における慣性の法則」について最近考えていたことを少々述べたいと思う。

理論的に慣性の法則は、対象となっている物体単独では成立しない。これは何を指摘しているかというと、あなたの周りの人間、自分の外の世界が存在することで「モノは動き出す」。
自分を刺激してくれる人間が周りの環境にいるかいないかで人間良くも悪くも本当に変わる・変われる。

だが自分が生まれてくる環境を自分は選べない。しかし人生は一回きり。
不公平だがスタート地点は皆異なっている。勢いに乗る時期は環境だけを見ても十人十色。
その中では一生加速せずに安定した人生を歩む人も数え切れないほどいるだろう。その事実を認識して敢えてその道を歩む人、その事実に気づかずに歩む人。もちろんそういった人生を否定する気は毛頭ない。もしその選択を何度も自問自答した後に出すのなら、(その人が生きている環境という条件化)で考えて選ぶのなら。

当たり前かもしれないが、勢いがあることは面白いと共に、危険を伴う。なぜなら動いていることは止まっているより不安定であるからだ。だが安定性=日常性と置いたとき、不安定性=非日常性とも考えられる。つまり後者は毎日が新鮮でドキドキする出会いで溢れているわけである。
この捉え方はその人の尺度(環境によって培われた尺度)によって異なるが、少なくとも私は非日常性が大好きでたまらない。不安定だって構わない。というより(傲慢に聞こえるかもしれないが)敷かれたレールはもう歩き飽きたようだ。以前目的がなかった時には不確実で危険にしか見えなかった行動・思想が、今は「健全なリスク」として捉えることが出来る。取る価値のあるリスクに見える。
そしてこの価値観が、もちろん私が生きている環境によって培われたということは言うまでもないだろう。

だが、ここで悲観的に環境を捉えないことが重要らしい。確かに私たちは生まれる環境は選べない。だが「私たちには自分が生きたい環境を創る」ことは出来る。そう、自ら環境を創るのである。

故に、外界から刺激を受けて、「慣性の法則」という素晴らしいスキルを手にした人間は、ある種の素晴らしい責任を負っていると私は考える。
それはどんな責任だろう?

それは「刺激された事柄を活かして、次は自分が他の人間を動かす」責任だ。
世の中の 理想は間違いなくGive & Take。ほぼ絶対。あまり断定的な主張は好まないが、これには確信がある。

私は人生が「慣性の法則」のように動き出したことを最近痛感する。
その一番大きな理由は、自分が理論をついに実践に移し出し始めたからであろう。毎日起床と共に、躍動感あふれるチャレンジ精神がこみ上げてくる。その根拠は繰り返すが、「非日常性」。
その非日常性の中で、出会う人間に対して何かを与える。
誰かに「勢い」を与えることが出来た瞬間、その喜びはプライスレスではないだろうか(お金をあげて人にモチベーションをつけるというのは短期的解決にしかならないので考慮しない)。

この精神がEach One Teach Oneに他ならない。
勢いに乗った自分がどこまで行けるのかワクワクする今日この頃。挫折しても構わない。
成功する自信を持ちつつ、むしろ失敗はウェルカムという姿勢。
「止められない自分」がここにいる。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://ronaldo9satoshi.blog97.fc2.com/tb.php/2-afd65ae1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。