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2009.05.29 凡と非凡
最近強く感じることがある。

陳腐化している概念だが、「凡」と「非凡」についてである。

社会的に名声を得る職種に就く、同年代のやつを見て先月くらいまでは
嫉妬心を感じていた自分を思い出す。

相変わらず小さかったなーと。

誰かが歩んでいる道(特に社会的にウケが良いもの)をベースに、
自分は一歩遅れているんじゃないか?と焦っていた自分がいた。

そして至極、How?という疑問に捉われていた自分も。

How to learn the foundation of problem solving?? etc.

これは藤沢烈さんも仰っていたことだが、
How?? ではなくWhy??

結局、ビジネス活動が基盤となっている時代に生きているけど、
本当は何がやりたいんだっけ?と。

ビジネス活動ってそもそも何でやってるんだっけ?と。

そう考えていくと、一つクリアになることがある。

それは非凡という言葉が本来放つメッセージ性。

これはあくまでも私の見解だが、凡人は憧れる人間が敷いたレールを無意識に
歩く。しかも、その歩くスピードはおそらくその人間にとって早足で、疲れる。

だが、非凡と呼ばれる人間は違う。
誰かの成功に対してジェラシーを感じる必要性がない。
なぜなら、自分が敷いた道を歩んでいるからだ。
自分が選んだ夢を、自分が選んだ方法で思いっきり描く。

そういった人間を、「非凡」と呼ぶのではないか。
最近よく聞くのは、非凡になりたかったら、人とは違うことをしろ!
という投げやりな発言。

それは違うだろ、と私は思う。

社会的なムードに反しても、本当に自分がやりたいことがあって
それを貫き通している人間が結果として「非凡」、そう呼ばれるのである。

これからこの世界に衝撃的なインパクトを与えるのは、
そういった「非凡」な人間だと私は考えている。















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