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今日私は、株式会社ネクストの社長、井上高志さんのお話を聞いた。
本気で感動した。
鳥肌立って、涙さえ出そうになった。

井上さんの最初の発言。「私の人生の目標は世界平和です」。この言葉を聴いた時、やられた・・と思って呆気にとられた。
だって、あなたの事業はネットを媒体にした不動産仲介でしょ?どうやって世界平和を実現するの?どこにそんな根拠があるの?様々な疑問が浮かび上がってきた。

世の中にはこういった言葉に対する解釈が3通りあるのではないだろうか。
それを綺麗ごと、非現実的だと言って馬鹿にする人間。
馬鹿にしないが、何も感じない人間。動かない人間。
その言葉を信じる人間。その夢を追いかける人間。

おそらく雑誌で同じことを読んでいたとしたら私は「その言葉を信じる人間」にはなれなかった。
だが、井上さんの言葉~その声とその時の輝いた目~を見たとき、この人は「本気」だ。そう120%感じた。
不動産はあくまでも出発段階の切り口。目標はまだまだ大きい。だが、一人ひとりの生活に対する「不」の部分、

不満
不安
不透明

それらの「不」を一つ一つ解決するシステムを作れば、絶対世界はより幸せになるし、そのモデルは現在ネクストが取り組んでいる事業と密接不可分に関わっている。

井上社長の掲げる「利他主義」。それは雑誌で読んだら偽善にしか聞こえない。
だがそれを人生の目標にして、実際に行動を起こしている彼を誰が偽善者と呼べるのだろう?
利他主義が手段であれば偽善かもしれない。だがそれが目標になった時、利他主義は綺麗ごとではなくなる。時には苦痛が必ず伴うだろう。失敗もする。だが、目標が自己満足だけでないから頑張れる。失敗を活かせる。

そして何故私が感動したかというと、自分もその目標が完璧に見えてしまったからだ。夢と夢がシンクロナイズする瞬間。鳥肌もんだった。
自分が最近抱いていた「社会貢献ビジネス」に対する疑問を吹っ飛ばすには十分すぎるほど荘厳なお言葉だった。

見えるものを信じるのは当たり前。
見えるものを創るのも当たり前。
でも、見えないものを信じて、それを形にすることは当たり前ではない。
けれども、それが実現されたときの感激はお金には絶対返られないし、その瞬間心底、生きてて良かったって思える。

参加者全員がプラカードに自分の目標を書いて掲げたとき、私は井上さんに選ばれ、発言した。
私が書いた夢は「社会貢献をビジネスモデルに。「与える」起業!!」その目標達成のために毎日邁進している。具体案を出して自分としてはアツく語った。

説明を聞いた井上さんは激励してくれた。
出来る、出来ないかじゃないよな。やるか、やらないかだよな。
こう言ってくれた時、この人物がとてつもなくかっこよく見えた。かっこよすぎだった。
目標を追いかけている人の目ってこんなに綺麗なんだなと思った。

米のGeneral Electronic前社長ジャックウェルチがリーダーシップに不可欠な4Eを挙げている。

Energy
Energize
Edge
Execute

最後のExecuteが一番大変で難しい点。自分の軸を一貫して貫きとおす。どんな修羅場に立たされてもだ。この点に対して私は懸念を抱いていた。自分は本当に無条件に「与える」人間になれるのか。
この一週間、目標を再確認していた自分にとって井上さんとの出会いは奇跡的だった。

「現状に満足しないで革進し続ける。次へ、その次へ、NEXT。」
またしても出会いに救われた。

二十歳の誕生日プレゼントとして、一番「今」の自分が欲しかったプレゼントだった。
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今日は1月21日。1月に入ってから早三週間が経つ。
ちなみに本日はまいぶらざー神馬の誕生日。ついに彼も二十歳です。
そしてオバマ先生がついに就任。変革に次ぐ変革を期待したい。

それにしても、ここまで短期間だったけれども、毎日の濃度の高さを痛感。
目標を軸にして「行動力」を第一に突っ走ってきた毎日は、本当に充実していた。
だがひとつ分かったが、正直学校の勉強に圧倒的に手が回らない、そしてこんなことを考える自分が好きなようで嫌いでもある。
せっかく親が高い授業料を支払ってくれているのだから、学問も献身的に行いたいものだが、いかんせん学問より自分にとって刺激的で面白いことを見つけてしまった。これが感情的で甘い論理。

頭を使って冷静に考えると、授業に行く・行かないもトレードオフの関係にあることを再認識する。今自分が考えていることはその典型的な事例といえる。
大きな絵で考えれば、人生において選択と機会費用は密接不可分。つまり、このケースでは大学の勉強をある程度妥協して、より自分のためになる事柄に熱中(投資)するのであれば、それはそれで間違いではないはずだ。その代わりに、自分が現在享受している「自由」という名のコストを間接的に負担してくれている親に、将来的に恩返しが出来れば何よりである。






前回の内容を踏まえて、今回は「人生における慣性の法則」について最近考えていたことを少々述べたいと思う。

理論的に慣性の法則は、対象となっている物体単独では成立しない。これは何を指摘しているかというと、あなたの周りの人間、自分の外の世界が存在することで「モノは動き出す」。
自分を刺激してくれる人間が周りの環境にいるかいないかで人間良くも悪くも本当に変わる・変われる。

だが自分が生まれてくる環境を自分は選べない。しかし人生は一回きり。
不公平だがスタート地点は皆異なっている。勢いに乗る時期は環境だけを見ても十人十色。
その中では一生加速せずに安定した人生を歩む人も数え切れないほどいるだろう。その事実を認識して敢えてその道を歩む人、その事実に気づかずに歩む人。もちろんそういった人生を否定する気は毛頭ない。もしその選択を何度も自問自答した後に出すのなら、(その人が生きている環境という条件化)で考えて選ぶのなら。

当たり前かもしれないが、勢いがあることは面白いと共に、危険を伴う。なぜなら動いていることは止まっているより不安定であるからだ。だが安定性=日常性と置いたとき、不安定性=非日常性とも考えられる。つまり後者は毎日が新鮮でドキドキする出会いで溢れているわけである。
この捉え方はその人の尺度(環境によって培われた尺度)によって異なるが、少なくとも私は非日常性が大好きでたまらない。不安定だって構わない。というより(傲慢に聞こえるかもしれないが)敷かれたレールはもう歩き飽きたようだ。以前目的がなかった時には不確実で危険にしか見えなかった行動・思想が、今は「健全なリスク」として捉えることが出来る。取る価値のあるリスクに見える。
そしてこの価値観が、もちろん私が生きている環境によって培われたということは言うまでもないだろう。

だが、ここで悲観的に環境を捉えないことが重要らしい。確かに私たちは生まれる環境は選べない。だが「私たちには自分が生きたい環境を創る」ことは出来る。そう、自ら環境を創るのである。

故に、外界から刺激を受けて、「慣性の法則」という素晴らしいスキルを手にした人間は、ある種の素晴らしい責任を負っていると私は考える。
それはどんな責任だろう?

それは「刺激された事柄を活かして、次は自分が他の人間を動かす」責任だ。
世の中の 理想は間違いなくGive & Take。ほぼ絶対。あまり断定的な主張は好まないが、これには確信がある。

私は人生が「慣性の法則」のように動き出したことを最近痛感する。
その一番大きな理由は、自分が理論をついに実践に移し出し始めたからであろう。毎日起床と共に、躍動感あふれるチャレンジ精神がこみ上げてくる。その根拠は繰り返すが、「非日常性」。
その非日常性の中で、出会う人間に対して何かを与える。
誰かに「勢い」を与えることが出来た瞬間、その喜びはプライスレスではないだろうか(お金をあげて人にモチベーションをつけるというのは短期的解決にしかならないので考慮しない)。

この精神がEach One Teach Oneに他ならない。
勢いに乗った自分がどこまで行けるのかワクワクする今日この頃。挫折しても構わない。
成功する自信を持ちつつ、むしろ失敗はウェルカムという姿勢。
「止められない自分」がここにいる。
ついに2009年もスタート。今年は去年に比べて世界的に見ても激動の年になるし、自分にとってもかなりすごい年になる。この「人生という名の旅」をやはり記録に残したいし、発信したいっていう理由でやっとブログを作成する気に。この瞬間、かなり新鮮な気分を味わっている自分がいます。
「私には夢があります」。これは自分が尊敬するキング牧師の言葉を直訳しただけだけど、本当に今自分がやりたいことってのが見えてきて、それを実現するために本気で奮闘する自分に最近気づく。そして、そんな自分にかなりわくわくするっていう。しかも根拠のない躍動感じゃなくて実際、手応えがあるっていうね。
そこで、現在の自分が抱いている様々な「躍動感」の根拠を一つ挙げたい。
それを読んで、え?そんなこと当たり前じゃん。って思った人は今一度、自分に問い直してほしいと思います。
自分の一回きりの人生における、「手段」と「目的」について。

「ここ最近」の自分を「去年の上半期まで」の自分と比較すると、決定的に変わったと思う点は「手段」と「目標」を常に自分に問いかけることが癖になってるということ。自分を客観的に考察しても、やっぱり目的はみんな当初はもってるんだよね、ほとんどの場合。でも、それをやり遂げようっていう過程で、気づいたら目的は達成する手段が目的になってるっていうジレンマ。それってすごくリアルだけど、もったいないよね。

その典型的な例が、政治家。政治家に官僚主義に溺れたい!って思って政治家を志す人間ってのはもちろんマイノリティーでやっぱり最初はみんな、「自分の国を少しでも良くしたい」って目標を抱いて政界に足を踏み入れる。でもその道程っていうのは、既得権益保持者の利害関係が複雑に絡み合ってて柵ばっか。気づいたら自分のインセンティブは現在の安定した地位を確保しとくことに置かれちゃう。んで気づいたら、リスクを犯して、当初自分が抱いていたはずの「日本をどんな形でも良くしたい」っていう大義を忘却しちゃう。

そういった政治家が世の中には無数にいるわけだ。だけどここで結果だけをみて、「日本の政治家は腐敗してる」って批判することは容易いよそりゃ。でもこれって日常的に自分たちもはまってる罠だよね。毎日せっせと働くサラリーマンもそうだし、勉強に終われる受験生もそうだし、これを主張している自分もそうだった(と今は恐縮ながらも自負している)。勤勉な労働者を批判してるつもりはないし、別に答えは一つじゃないと思う。でも本当に自分の一回きりの人生と向き合って、自分に自問自答した上での答えかどうかってのは非常に重要だなって痛感する。

自分は現在、奮闘しています。
アメリカ西海岸にあるUniversity of California, Berkeleyという、色々な意味で非常に面白い大学に交換留学するために努力をしているつもりです。
他にも自分が「この大学は国内でトップ3」と考える、在籍中のICU大学においては刺激的な友人と共にサークルShock&Heartsを立ち上げ、その運営に対してはりきって取り組んでいる。
でもそれは、自分にとっての「手段」であり「目標」でもある。より厳密にいうと、手段=目標。
つまり追いかけてる自分の夢が、今歩んでる手段の延長線上にあって、そのゲームの縮小版を今の自分はプレーしてる。将来やり遂げたいことを、「いま」体現する可能性をもってるいるし、一瞬一瞬コツコツと近づいてるって痛感するわけです。これを「夢と現実のシンクロナイゼーション」って自分は考えてます。でもその中でも、常に自分に問いかけることは忘れないようにしている。満足してる?もっと面白できるんじゃない?って。これは本当に自分がやりたいことなの?って。何度でも。

最後に今の自分が掲げる名言を紹介します。これは「リーダーシップの旅」っていうかっなりアツい本で野田智義さんが使っていた言葉です。プラス世界の誰にでも当てはまる、自己啓発的な言葉。

「人生を後悔するという最大のリスクを回避する」

何かを挑戦したい。昔抱いていた目的を再び遂行したい。そんなときに背中を押してくれる示唆に富ん、素晴らしい言葉だと思います。

dewa until next time♪
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